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琥珀色
職場の先輩である千春さんは、小学生の頃に一日だけ行方不明になった事があるという。
「う〜ん、私としては精神的に参って見た、幻だと思うんだけど…。姉が警察に向かう途中で見つかって。あわや警察沙汰よぉ〜!」
千春さんは、カラカラと笑って話始めた。
その頃彼女は母親から「育児放棄」と、煙草や蚊取り線香、ストーブの天板などに足や指を押しつけられるといった「虐待」を受けていたらしい。
笑いながら、あっさりと話していたが、さりげなく見た彼女の指には親指以外のほぼ全ての第二関節に火傷の跡があった。

彼女が小学四年生の時の話だ。
10月の少し涼しくなって来た平日の夕方、友人と遊びに出かけた帰り道、自宅近くのJRの高架下にある長屋と空き地の辺りを自転車で走っていた。
不自然な違和感に、すぐに気づいたと言う。
昨日までは空き地だった場所に古い造りの家が建っていた。
いくら何でもそれはおかしいだろう、と自転車を降りて空き地で遊ぶフリをして、家を観察し始めた。
『友達は塾があるからって3時くらいに別れてね。門限が5時で…家に帰りたくなかったのもあって…。』
草を摘む様なフリをして、その家に近づいて行ったという。
その時は知識がなかったが、京都の町屋の様な造りの和風建築だったそうだ。
向かって右側に引き戸があり、引き戸には当時120cmほどの身長だった千春さんでも屈んで入らなければならない様な小さな開き戸がついていて、左側は細かい格子のついた引き戸のガラス窓、そのさらに奥に障子があり、少し障子が開いていた。
思わずのぞき込むと、中には二十代後半くらいの黒縁眼鏡を掛けた優しそうな青年が本を読んでいた。
『何かほわ〜、っとなっちゃってね。幼いなりの一目惚れというか、好みのタイプど真ん中というか。』
気がつくと、さらに一歩前に出ていた。
すると青年は千春さんに気づき、おいでおいで、と手招きをしたのだ。
恥ずかしくて立ちつくす千春さんに、青年は障子を開けてさらに手招きをした。
青年の後ろには壁一面びっしり、きっちりと本が並んでいた。
(テレビで見たよ!貸本屋さんだ!)
何故か、彼女はそう思ったらしい。
警戒心が薄れた千春さんは、右側の引き戸の小さな開き戸から中へ入った。
これまた不思議な事に引き戸を開ける、と言う事はその時全く頭に浮かばなかったらしい。
中へ入ると、入ってすぐが3畳ほどの石畳の土間になっており、突き当たりは壁で左側にしか部屋は無い。
千春さんがちょうど腰を掛けられるくらいの高さ、幅の板間があり板間に続いて障子があり、まるで中へと促すように少し障子が開いていた。
折りたためそうな古い小さな文机の向こうに、先ほどの青年が居てにっこりと微笑んだ。
千春さんは土間へ転がり落ちないように靴をそろえ、
「おじゃまします。」
と中へ入った。
飴色の柱、同色の本棚、土壁、高い天井。
それに合わせたかの様に、薄い肌色の表紙にセピア色の印字でタイトルの書いてある、文庫本サイズの本がずらりと並んでいた。
図書館で見た難しい小説に装丁がそっくりだ。
(どうしよう、難しそうな本ばかりだよ…)
青年に、良く思われたい気持ちが勝り、立ち去りがたく必死に自分の知っている本が無いか探した。
『ほら、グワシ、の人の(笑)。』
背表紙の中に、読みたかったホラー漫画の最新刊を見つけた。
『今思うと当時の最新刊が文庫のサイズの筈、無いのよね。だから文庫サイズの漫画が出たのを見た時、すっごくびっくりしたの。あれ〜?そっくりだ〜、って。似てるのはサイズだけだけど。』
他にも5〜6冊、読みたかった漫画を見つけて手に取ると畳にお姉さん座りをした。
読み始めると、本に集中してしまい周りは見えなくなったという。
しばらくして最後の漫画を手に取ろうと顔を上げ、気づいた。
畳を染める障子独特のやんわり、優しい陽の光が夕焼け色に変わっている。
オレンジ色の滲むような光を受けた部屋の中は、何もかもが飴色で柔らかく美しかった。
祖母が以前に見せてくれた、綺麗な細工のブローチに付いていた琥珀のような色合いに千春さんはしばらく、うっとりと見とれていたという。
でも、琥珀は父が質草にしてしまった。もう、戻りはしないだろう…。
悲しくて、力なく下ろした手が立てた音にはっとした。
(え?今、何時?!)
焦った千春さんはキョロキョロと時計を探した。
青年は、ずっとそうしていたのか、机に手を置いて千春さんを見ている。
その落ち着いた様子に、見栄を張りたくなったそうで、
(後、一冊。これを読み終えたら帰ろう。)
そう考えて本を読み始めた。
しかし全く落ち着かず、半分ほど読み終えても内容は殆ど頭に入らない。
ふと、おかしな事に気づいた。
先程と陽の光が変わらない。
秋の夕暮れ、傾いたと思ったらあっという間に暮れてしまう物だというのに、さっきと全く変わった様子がない。
急に怖くなって、慌てて本を掴み立ち上がると、
「…帰るのかい?」
と少し悲しそうに、優しい響きで青年が言った。
だが、口元が全く動いていない。
じゃあ、今のはどうやって?
途端にパニックが襲って来た。
「塾に行かなきゃ!」
言い訳をするように叫ぶと急いで本を棚へ戻し、後はもう、振り返らずに外へと転がり出た。
開き戸を開けると、真っ白に向こう側が光っていて、目が開けていられなかった。
高さのある敷居を何とか跨いだが、足を引っかけて前のめりになった。
眩しい、眩しい。
刺すような光に目を開けられないまま、前屈みに手と膝を付き四つんばいに倒れ込んだ。
目が慣れるのを待ってそっと周りを見渡すと、まばらな雑草が生える見慣れた空き地。
しばらく呆然としていたものの、置いてあるはずの自転車が無い事に気づき慌てて立ち上がった。
「アンタ、今までドコ行ってたの!」
血相を変えたお姉さんが走り寄って来て、千春さんを抱きかかえた。
涙声で何事か言っているお姉さんの肩越しに見た空は、秋晴れで見事に青かった。
千春さんは、声を上げて号泣した。

あの優しい空間を捨てて、どうやら自分を探してくれていたのは姉だけらしいという現実に、戻ってきてしまった事への後悔の涙だった、と言う。

「思い出せば思い出すほど、すごく綺麗だった気がして。惜しい事をした気分になったの。」
「そんな事思うなんて、変でしょ?だから、多分あれは私の願望が見せた幻ね。」
しかし、そう言ってしまえる彼女の強さを思うと、本当にそれは幻だったのだろうかと思わずにはいられないのだ。



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■講評

文章 1
怪異 1
怖さ 0
衝撃 0

古い家での体験は大変郷愁感の漂うもので美しく感じる。謎の青年も穏やかそうで悪いモノには思えない。
本の説明の所がややこしい。

名前: くりちゃん ¦ 13:41, Monday, Feb 23, 2009 ×


隠れ家にそのまま浸っていても幸せだったのかもしれない。そう思わせるだけの文章力のある方だと思いました。琥珀色と青い空の対比が残酷なまでに美しいです。
何よりも嬉しいのは、千春さんへの著者の優しい想いです。辛い子ども時代を精一杯生き抜いてきた千春さんへのエールを込められた話だと思いました。
文章・1 構成・1 ネタ・1 恐怖・0

名前: 暗沌子 ¦ 16:45, Monday, Feb 23, 2009 ×


雰囲気は出ていて良いとは思うのですが、読み難くかったです。
全体的に演出過剰な印象で、状況があまりよく解りませんでした。
最後に幻を強調したためか、なんていうか、夢の話を聞かされたような気分になってしまいました。

文章:-1 怪異:1

名前: PM ¦ 19:45, Monday, Feb 23, 2009 ×


このお話の怪異は、体験者が当時虐待を受けていたため精神的にまいっていたから起こった…ものなのでしょうか?関係があるのかどうかよくわかりません。当人はそう言っておられますが。
虐待による火傷のあとについての記述は無くてもよかったのでは。内容は虐待に関するお話なのかな、と読みながら思ってしまいました。

雰囲気は凄くよく出ているのですが、“グワシの人”といった部分がせっかくの雰囲気を壊している様に思えます。
他にも不要に思える記述があちこちにあり、話が不必要に長くなって読みにくく思いました。


名前: ひぐらし ¦ 19:46, Monday, Feb 23, 2009 ×


雰囲気がとっても
美しく、幻想的です。
所々に雑味が出てしまった所が、
残念かな。
残酷な話がベースにありますが、
それを補って有り余る、
「優しさ」みたいな、モノが感じられました。

雰囲気2

名前: ほおづき ¦ 20:38, Monday, Feb 23, 2009 ×


すごく雰囲気は出ているのですが、ところどころで状況が分かりづらいところがあり、イメージが沸きづらかったのが残念です。

名前: SPダイスケ ¦ 21:49, Monday, Feb 23, 2009 ×


怪奇2 文章0
文章が凝っているので状況がわかり辛かったのですが、謎のお兄さんの異空間に迷い込んだのでしょうか?全体的には雰囲気が出ていて良かったと思います。

名前: じゅりんだ ¦ 12:13, Tuesday, Feb 24, 2009 ×


虐待という残酷な事実がどう影響するのかと思ったのですが、思ったより重要ではなかったような気がします。
幻じゃないですよ。きっと。
本屋好きとしては是非行ってみたいです。

名前: 黒蜜椿 ¦ 16:08, Tuesday, Feb 24, 2009 ×


 せっかくの力作なのに本当に惜しい、最後の「幻」と体験者が告げる部分は余計だと感じました。
 確かに創作怪談なら泣けて物凄くいいんですが、これは実話怪談、少しでも話を疑われるような記載は避けるべきというのが私の考えなので
、ここは涙を呑んで0点です。
 非常に残念です。

名前: くすだまん ¦ 19:08, Tuesday, Feb 24, 2009 ×


儚くて不思議な雰囲気のあるお話でした。
沢山の情報を漏らさずに書いてあると思うのですが、ある程度のところで1行あけたりした方が読みやすくなると思います。
あと、建物全体の縮尺が小さい空間のように感じるのですが、中にいた青年の大きさはどうだったのか知りたかったです。


名前: ゑな ¦ 22:45, Tuesday, Feb 24, 2009 ×


導入部の千春さんの言葉「あれは幻だったと思うのだけど・・・」を入れたのは、最後にそれを引き合いに出して、筆者の思いを書きたかったからでは? という見方をしてしまうので、そこはあっさりと筆者は締めるべきだったと思うのですが。「〜せずにはいられない」は少々強すぎる語句です、体験者の境遇が過酷であったとしても。
怪異は非常に魅力的で興味深いですが、文章は刈り込みが必要かと思います。タイトルは再考かも。

名前: ひ ¦ 00:47, Thursday, Feb 26, 2009 ×


−4 夢か幻かの区別がつかない程、フワフワしている

名前: ジャック ¦ 02:45, Monday, Mar 02, 2009 ×


明るく話す千春さんの様子を見てもなお、そこに留まっていた方が幸せだったのかも…と思わせるものがありますね。
自分の意思で簡単に出てこられたんですから、引き込もうとする悪いものでもなさそうだし。
時間の流れがゆっくりなところがまた良いなあ。私は出て行かないかもしれない; +2

辛い日常も織り交ぜて対比的に描かれているのですが、部屋の作りや幻想的な描写は力みすぎてるような気がします。
さあ想像してください!と迫られているような感じ^^;

「幻かもしれない」で始まり「幻じゃないといいね」で終わるのも、「それは幻じゃないでしょう」と言わせたいのかなーとひねくれた見方をしてしまいました。 -1

名前: 眠 ¦ 20:36, Thursday, Mar 05, 2009 ×


いくら育児放棄とはいえ、母親が煙草の火や蚊取り線香、ストーブの鉄板を足や指に押し付ける虐待とは、尋常ではないし、そんな時自分がその帰るのが嫌になったから現実から逃避したい自分がいてその強い思いから、そういった
夢とも区別がつかない物が見えてしまったのでは?きっとそうさせたのに違いないと思ったから。

名前: ジャック ¦ 03:09, Monday, Mar 16, 2009 ×


読んでいて、幻ではなかったような気になります。
幻想的な世界の描写は魅力的ですが、作品全体にはもう少しという印象も受けてしまいました。
トータルで+1ということで。

名前: へみ ¦ 23:52, Wednesday, Apr 01, 2009 ×


冒頭の虐待のくだりを入れずに
不思議な異空間の経験にしぼって書かれたほうがまとまりのあるお話になったのではないでしょうか。
最初に虐待の凄さに驚いてどうしても関連性がいつで出来るのか気になってしまいました。

異空間、別世界での経験自体は面白いと思うので損をしているような気がします。

琥珀色の不思議な世界…
トワイライトゾーンのようで引き込まれました。

名前: 桜子 ¦ 16:55, Tuesday, Apr 07, 2009 ×


いい雰囲気です。よく書けているのですが、所々クドくなっているのが残念。

名前: 悪夢狂乱丸 ¦ 17:04, Wednesday, Apr 22, 2009 ×


千春さんは自分に幻だと言い聞かせたいのかな。
読んでいてまるで自分がそこにいるかのような臨場感がありました。
私ならきっと、帰ろうとせずにずっとそこにいたんだろうな。
そんな神隠しなら、あってもいいかななんて思うのは不謹慎かもしれません。

名前: 緋咲 ¦ 03:32, Monday, Apr 27, 2009 ×


文章・・・1
希少度・・・1

体験した本人が何度も言う幻という言葉が少し引っ掛かります。
日常的に虐待を受けている子供が想像の世界に逃避したと思えなくもなく、それを助長するように幻という言葉が吐かれるので、これは避けたほうが良かったのではないでしょうか。
それ以外はとてもしっかりと書かれており、雰囲気もそれなりに出ています。
ただ一つの難点としては文中漫画を読む件がありますが、作品を特定する必要もないので、もっとやんわりと漫画であると表現してもらえたら更に良かったと思うのですが。

こういう異界に紛れ込んでしまう話はちょくちょく聞きますが、そのいずれもがつながりのない違う世界のようです。
一体いくつ世界が存在してるんでしょうね?

名前: 鹿太郎 ¦ 15:04, Wednesday, Apr 29, 2009 ×


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