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わたしが彼の影になったのは、死んですぐのことでした。 わたしはこの世の他のどこに行く気もありませんでした。自分の体が焼かれ、灰になり、骨壷に納まるところなんか見たくもありません。わたしは彼の影の中で葬列に背を向け、じっと地面の底を覗き込んでいました。 地面の下は果てしなく真っ暗なだけで、地獄なんかどこにもありません。 彼が私のために泣いていたのかどうか、それにも興味はありません。どうせ感情は表に出さない性質なのです。泣いていても、笑っていても、真の気持ちは計りしれない、そういう人間です。 彼は家に帰って喪服を脱ぎ捨てると、シャワーも浴びずに寝てしまいました。 薄情だけど心がない訳ではない。わたしとしてはそう思いたいところです。 明くる朝、まぶしい光が差し込むベッドの上で、わたしはまだ眠っている彼の影からそっと抜け出し、洗面所の鏡の前を通り過ぎ、何も映らないのを確認した。 わたしは影になったので、光の中では姿を失います。誰にも姿は見えません。彼にも、気配ぐらいは感じて欲しかったところですけれど、わたしの存在は気づかれていないようです。 それから、風呂の残り水をくぐって体を洗う真似。わたしには実体がないので、どんな行為もむなしい物真似でしかありません。それでも彼の側では生きている頃のように、元のわたしで居たいのです。汗をかいたり新陳代謝があるわけもないのですが、彼には嫌な匂いの幻さえ嗅がせたくはありません。最低限のエチケットでしょう。 白いシーツに落ちたしわくちゃの影に戻ると、わたしは息を潜めて彼の目覚めを待ちました。 以来、わたしは彼が用を足し、鏡に顔を映し、髭を剃り、ブリーフをはき、ワイシャツに袖を通し、ネクタイを締め、スーツを身に着けて外出するまで、仕事をし、食事をし、形ばかりの友人と居酒屋で飲み、家に帰ってテレビを見ている間もずっと、影となって恭しく彼に付き従い、夜も昼も、おとなしく彼の日々の暮らしを見守っています。 何もすることはありません。 わたしにはできることなどないのです。 ただ黙って見つめることしか。 彼が裸でベッドの横になり、目を閉じて、屹立した性器をしごきながら、他の女を夢想する時も、わたしの手が届かなかった愛しいもので実際に女の股間をつらぬく時も、そうです。 わたしは黙ってそばに寄りそうだけ。彼の行為が落とした影の中から見ているだけです。 彼が一緒に寝た女のことごとくを殺さずにいられなかったのは、確かにわたしの嫉妬のせいかもしれません。 わたしが我知らず、憎悪の言葉を呟かなければ。 彼の耳に殺意を吹き込まなかったら。 女たちは死なずにすんだのでしょうか? 彼に貫かれ、揺さぶられて、汗にまみれ、喘いで、はしたない声をあげた女たちが、今も生きていた方がよかったとは、わたしにはどうしても考えられません。 若い肉体をもてあまし、いい気になって遊びほうけ、彼の上になり下になって傲慢にも 快楽を貪る女たちが、そのすぐあとで、恐怖のあまり失禁しながら、痛みと苦しみにふるえ死んでゆくのは当然のことのように思えてなりません。 でも、まあ、いろいろ考えても詮無いことです。 わたしが実際に彼を操って手を下したことはありません。 そんなことは一度だってないのです。殺したのは彼の意思。殺害はすべて彼の行為でした。 わたしが彼の背後に佇むせいで、彼の影はいっそう濃く、暗く、大きくなりました。 それがまた彼の姿を女たちには魅力あるものにしていたのでしょう。 女たちは自分と交わる男の見かけよりもはるかに充実した肉体の大きさに、時には瞳に恐怖の色を浮かべたものでした。 それは殺されると知る前からです。結局は殺されて、恐怖は否応なく現実のものになる訳ですが。あの子たちが前もっていったい何を知ることができたでしょう。女たちはいつも無邪気に素直な賛嘆と驚きの表情を浮かべて彼を見たものです。 彼の姿は美しく、立ち居ふるまいはとても優雅で、女たちは彼を愛さずにはいられませんでした。 女は彼にとっては獲物です。それ以外の存在ではない。わたしは姿が見えないのをいいことに、影を離れ、彼好みの女を探しに行くようになりました。 彼は執拗に獲物を追い求め、わたしは彼の餌食を探します。 あ、この子は彼が好きそうだ、と思う中学生を見つけた時など、よろこびのあまり自分の体が薄桃色に染まっているのではないかと心配になって近くの川面に姿を映してみたほどですが、やっぱり何も見えません。モノクロの空と川辺の風景が映り込んでいるだけです。影から離れたわたしの体はすべての色を失い、水にも映らず、誰にも見えないままなのでした。 彼の影に戻って呼び寄せれば、少女を誑し込むのはお手の物です。誰も彼の誘惑には逆らえない。 ススキとセイタカアワダチソウの間の丈の低い草むらに身を隠すように、連れてきた中学生の唇をむさぼり、制服の胸をこじ開けます。彼は少女を犯します。たいていは和姦ですが、強姦でも同じことです。彼がつかまえた女と交わらないことはありません。彼は激しく腰を突き動かし、少女をなぶり、背中を震わせて射精します。わたしはそよ風になってエノコログサの穂先を揺らし、汗にまみれてヒクヒクと痙攣する彼のお尻を優しくなぶるのです。 満足すれば、彼はすぐにも女を殺します。 うっとりとした中学生の少女の顔が、恐怖でひきつり、やめて、と切れ切れの息の下で懇願し、眼球が飛び出しそうなほど大きく開いた瞼の中心で瞳がくるめき、上気した顔に血管が浮き、それでも彼はやめません。 彼は両手で首をギリギリと締め付け、少女の頭を河原に叩きつけます。唇の端にあふれだす血のまじった泡、鼻血が出て、皮膚が切れて頭から血が流れ、頭蓋骨の陥没する音が聞こえます。 死んでから、影になっていつも彼のそばにいられるのは嬉しいのですが、ただ一つ、悲しいことにわたしの世界は色をなくしてしまったのです。 わたしには色の区別がつきません。 彼が風呂場で死体を切り刻み、貪るように飲み干す血の色も、まだ生きている命乞いをする少女の涙が浮ぶ瞼のピンクも、あどけない頬の色も、わたしには想像するしかありません。パックリと口を開けた腹腔からのぞく内臓もモノクロです。 わたしには数えるつもりもないですが、彼はいったい何人の女を殺したのでしょう。 彼が黒い血に濡れた身を起こし、切り刻まれた死体の残骸を見下ろすさまは、わたしが生きていた時の記憶をなぞって考えても、さほど満足した様子ではありません。 体を洗うや否やさっさと服を着て、次の獲物を探し行きます。 あんなにたくさんの女たちを犯しても殺しても、何をやっても不満足な彼は幸せそうには見えません。 ああ。 わたしが慰めてあげられたら。 母さん、お母さん、恋しいよ。なぜ死んでしまったの。とでも泣いてくれれば、わたしはここよ、いつまでもあなたと一緒にいるわ。これまでも、これからも、ずっと、と答えてあげられるのに。 彼は黙って少女を草むらに押し倒し、犯し、射精し、殺すだけです。 それが残念でなりません。
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■講評
ごめんなさい。個人的にどうしても内容が好みではありません。それを度外視して、講評します。 全体的に、描写の嵐。そこまでの描写は必要ないのでは?という部分が多々あります。殺人シーンや狂気のシーンをしっかりと残し、匂いのエチケットなど不必要な描写をばっさりと切り捨てたらすっきりとした作品になると思います。母親がただ見守る存在ではなく、自ら怪異を引き起こすエピソードも個人的には加えてもらったほうが良かったかな、と。
【アイデア】+1、【描写力】-1、【構成力】-1、【恐怖度】0 |
名前: 茶毛 ¦ 14:53, Tuesday, Aug 26, 2008 ×
母親だったんですね。でも、描写がしつこくて好みではありません。もっと短い方が良かったかな。さほど読みづらくは無かったけど。
【アイデア】0、【描写力】-1、【構成力】0、【恐怖度】0
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名前: 尚休 ¦ 16:45, Tuesday, Aug 26, 2008 ×
スミマセン。 説明過多でちょっと読み難かったです。 何より状況が頭に入ってきませんでした。 この母親が「なにもできない」と言ってる割に、「彼の獲物を探します」と協力が可能である事にも違和感があります。 もう少し、描写面での筋通しで一考必要だったかなぁという印象です。
【アイデア】 0 【描写力】-1 【構成力】 0 【恐怖度】 0
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名前: PM ¦ 18:43, Tuesday, Aug 26, 2008 ×
-長所- ・息子の影になった母親が息子の行動を淡々と語るという、変わった作りが面白い。 ・生々しすぎて時には嫌悪感をもよおす文章は個性的である。 ・モノクロの光景になるというのは着眼点が面白く、映像的にも印象に残る。 ・息子の狂気よりも、最後に書かれる母親の気持ちの方がそれを通り越していて、後味の悪さを出している。
-短所- ・この話を語っているのが母親である事を分からせないように文章が組まれているのだが、そうすると序盤で、息子がすぐには家に帰って喪服を脱ぎ捨てられないのではないか、という所が少し気になった(直後は親族といろいろ遣り取りがあるだろう事を考えると)。 ・最初のうちは何者か分からない影が息子に殺意を吹き込むのだが、その動機付けと息子の変貌ぶりが早すぎるように思った。前半の丁寧な展開に対して、殺意へと転じる流れはもう少し自然であった方が良いと思う。個性的な作品だけに前半は期待して読んでいたのだが、この前半の中に後半へと滑らかに繋げる仕込みがあればと残念に思う。 ・影になってから世界がモノクロ映像に見える事は最後まで隠す必要もないのだが、最後でその理由が分かったときに「自分の体が薄桃色に染まっているのではないかと心配になって近くの川面に姿を映してみた」の箇所が、語り手の思考としてはおかしいように思う。語り手の正体や色の事を隠すために作られた文章が、読み返した時に整合性がとれていないように感じるので、完成した後でちょっと時間をおいて見直してみると良いのでは。いろいろと面白そうな要素を持っている作品なのに、詰めの部分で何かと惜しい部分があった。
【アイデア】0、【描写力】0、【構成力】0、【恐怖度】0 |
名前: 廻転寿司 ¦ 19:02, Tuesday, Aug 26, 2008 ×
人が人を殺すのか、影が人に殺させるのか、というせめぎあいが実に良く書けていますね。 緊張感が素晴らしい。 また真の地獄は地下ではなく、この世界の暗い影の中にあるというのも鋭い。
ただ、男性でこの作品を恐ろしいと思わない人はほとんどいないと思いますが、気に入る人もまたほとんどいないでしょう。 心理学的に男性の一番の弱点を鋭く突きすぎていますから。 生理的嫌悪を感じずにはいられない、おおよそ考えうる最悪の地雷を踏んでます。 4点はつけますが、これをやっちゃうとおおよそ全ての男性に完全に嫌われてしまうって事は忘れないで下さい。 採点基準からやむなくつけるだけで、私も感情としては点数をつける気にならないってのが正直なところです。
恐怖ってのは難しいね。
この作品の持っている基本的な構造は素晴らしいので、構造的な部分だけを引き出しにしまって、それに見合う肉と皮を見つけた時に、またそっと取りだして使って下さい。
【アイデア】+1 【描写力】+1 【構成力】+1 【恐怖度】+1 |
名前: ユージーン ¦ 19:13, Tuesday, Aug 26, 2008 ×
アイデア +1 描写力 +1 構成力 +1 恐怖度 +1
クセのある独白体でグロテスクな内容を延々と語るところなどは寒気がする。シリアル・キラーの書いた小説のようだ。 恐ろしいというよりもおぞましい… |
名前: くりちゃん ¦ 20:43, Tuesday, Aug 26, 2008 ×
丁寧に書かれたポエムっぽい展開がちょっと・・・
【アイデア】 0 【描写力】-1 【構成力】 0 【恐怖度】 0
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名前: 華鹿 ¦ 20:49, Wednesday, Aug 27, 2008 ×
エログロナンセンスは好きですよ。 静かな文体ですが、どっしりとグロテスクな 部分も描写されていて、お上手だと思います。 影が母親だったというのも、グロくていいです。 何も出来ないと言ってしまっているのに、 彼好みの中学生を見つけて 来ちゃったのだけは残念でしたが。 「私が見つけるまでもなく彼は獲物を見つけただろう」として欲しかったところです。 ソコだけに−1点するのもキビしいかと 思ったのですが…。 上手ければ上手いほどちょっとした 違和感が大きいものになってしまったような 気がします。 |
名前: ちゅん ¦ 12:38, Wednesday, Sep 03, 2008 ×
葬式に男が出席している時点で見知った関係であるということは 想像できましたが母親でしたか。おぞましさを出す設定としては よく使われるだけに、ちょっと残念な気もします。 その母親に敢えて男の行為をストレートにグロく表現させる構成も 種明かし後は逆に足を引っ張る形になってしまったような気がします。
【アイデア】±0 【描写力】−1 【構成力】−1 【恐怖度】0 |
名前: 蓮 ¦ 01:24, Monday, Sep 15, 2008 ×
これは凄い作品だと喜び、味わいつつ再読してみたら矛盾点が気になってしまい、入りこめなくなりました。
発想も素晴らしく、忌まわしい世界観が他の追随を許さない作品ですので、もう少し慎重に練り上げて欲しかった。
発想・1 文章・−1 構成・−1 恐怖・−1 |
名前: 暗沌子 ¦ 02:30, Sunday, Sep 21, 2008 ×
エログロで素敵な作品だと思います。ただ母親というオチが自分の中でしっくり来ませんでした。気持ち悪さが大きくなるのは良いのですが。
【アイデア】+1 【描写力】+1 【構成力】0 【恐怖度】+1
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名前: 猫塚イスマ ¦ 19:57, Thursday, Sep 25, 2008 ×
アイデア+1 描写+1 恐怖+1 生理的な嫌悪感や不快感は、ホラー・怪奇小説であるわけであるからむしろ王道的な作品であると思う。 ただただ怖い・不快であるというのはそれだけでもかなり凄い事である。 しかし、曖昧なたとえで申し訳ないが、旨味が少ないのである。 結末で実は母親だった、という事実がわかった時に、もっとドキッとするような、あっと驚くような構成にするためには、展開にギャップをつける必要があったかも知れない。少し淡々とし過ぎているように感じる。
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名前: 戯作三昧 ¦ 17:54, Tuesday, Oct 14, 2008 ×
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