|
女が電気を消しベッドに潜り込んだ瞬間、部屋の雰囲気が一変した。 湿った空気が女の頬を撫で、まとわりつく。 女は起き上がろうとしたが身体が言うことを聞かない。 暗がりの中、女は部屋の片隅に視線を向けた。 そこに蹲る人影が見える。 それは壁を背にして体育座りをする男の姿だった。
紺色のジャージのズボンは裾がほつれ、そこから伸びた足のあちこちに、掻きむしったと思われる生傷と瘡蓋がある。 元は白地だったと思われるTシャツは赤黒く変色し、袖口がだらしなく伸びきっている。 枯れ木のように細い腕を膝の上で組み、その上にボサボサの長髪に覆われた頭部を乗せ、男は蹲っている。 蹲ったまま、髪の毛の奥からヒビの入った眼鏡越しに、蛇のような澱んだ視線を女に送り続ける。 その体が小刻みに痙攣している。 痙攣の度に男の頭部から何かが部屋中に飛び散り、床を汚す。
「あ、ああ゛、ああああああああああぁぁぁあああ゛あぁぁぁぁあああああああぁぁぁぁぁ……」
痙攣に合わせ、男が呻き声をあげる。 その声は次第に大きくなり、女の鼓膜を刺す。
「があぁぁああ゛あ゛ぁゆ゛ぅぅぅぅぅううう゛うぅう゛うう゛ぅぅい゛ぃぃぃいいぃい゛いぃぃ……」
男は立ち上がり、体中を掻きむしる。 いや、削るといった方が正しいかもしれない。 伸びきって黒ずんだ爪が身体を削る度に、肉片が床に落ちる。 身体のあちこちから血を迸らせながらも、男は掻きむしり続ける。
「がぁあ゛ぁぁゆ゛うぅぅう゛ううい゛いいぃぃい゛ぃ……」
男は長髪の中に手を入れた。 にちゃっという音とともに、その手は有り得ないほど深くめり込む。 一瞬、男の動きが止まる。 露わになった顔には恍惚の表情を浮かべている。 その左目は上を、右目は下を見ている。
「がぁぁあぁゆ゛うぅぅうぅぅい゛ぃいぃぃっ!」
絶叫とともに、男が激しく手を動かす。 その度にぐちゃぐちゃと泥をかき回すような音がし、赤い肉塊が床の上に落ちる。 左右の眼はカメレオンのようにぐるぐると不揃いに動き続ける。 男は痙攣しながら、徐々に女のベッドへと近づいてゆく。 女は呻き逃げだそうとするが、やはり身体が動かない。 男はベッドの側に来ると、ゆっくりとその上に倒れ込んでくる。 堪らずに女は目を閉じた。
しかし、来ると思われた衝撃は訪れなかった。
「こいつがストーカー霊か」
女が目を開けると、法衣を纏った坊主が男の襟首を掴んでいた。 身の丈は二メートルくらいあるだろうか。 法衣から伸びた手足は鍛え上げられ、浅黒く焼けている。 その背には何故か、ゴルフバッグを担いでいる。 「あんた……誰?」 「勝手にあがらせて貰った。榊原の紹介と言えばわかるか?」 女は榊原という名前に心当たりがあった。 「ああ、おととい、街で声をかけてきた黒いスーツのナンパ男かぁ。 アイツ、キャバクラのスカウトでしょ。アタシ、キャバ嬢になるつもりなんかなかったから、たっぷりオゴらせたけど。 アンタ、アイツのトモダチ? 取り立てならムリだから。サイフの中、千円しかないし」 「そんなことはどうでもいい。引っ越しても付き纏ってくるこいつをどうにかして欲しいと、榊原に話しただろ」 「えー、覚えてない」 「そうか」 坊主はぐい、とジャージ男を持ち上げる。 「さて、問題はお前だ」 ストーカー霊は痙攣をやめ、恐る恐る坊主の顔を見る。 「迷う者を導くのが俺の仕事だが、生憎、我流でな」 坊主は言いながら、背負っているゴルフバッグのファスナーを少し開くと、その中から一本の棒を取り出した。 ゴルフクラブではない。六角に面取りをされた木製の棒だ。 その表面には『六根清浄』の文字が刻み込まれている。 坊主はその棒を掴むと、霊の背中を踏みつけて狙いを定めた。
「六根清浄ぉ!」 「ぐぁっ!」
棒が霊の頭部を貫き、フローリングの床に深々と刺さる。 「ちょっと、ここ賃貸なんだから!」 「気にするな」 坊主は女には目もくれず、バッグから二本目の棒を取り出す。 「六根清浄ぉ!」 「ぐぇっ!」 霊の背中に二本目の棒が刺さる。 その眼からは血の涙が溢れ、恐怖に打ち震えている。 「ちょっと、何本刺す気なのよ!?」 「さあな。前に成仏させた霊には十七本使ったが、こいつには何本使うか」 言いながら、坊主は三本目の棒を取り出す。 「冗談じゃない。そんなの付き合ってられない。床は弁償して貰うからね。アイツの名刺、持ってるんだから」 女は言い捨てると、ベッドから降りて部屋から出ようとした。 「六根清浄ぉ!」 「ぎゃっ!」 喝とともに坊主が投げた棒が、女の腹部を刺し貫いた。 「逃がさん」 「ちょ、ちょっと……」 女は苦痛に顔を歪め、坊主を睨んだ。 「どんな香水を使おうとも死人の臭いはごまかせない。お前、この男に黄泉還りの術を施されたな」 女は答えなかった。 しかし、棒に貫かれた腹部からは出血がない事が、全てを物語っていた。 「邪魔になったこの男を殺したな。 それだけではない。その身体を保つため、何人犠牲にしてきた?」 「うるさいわね! アタシよりあいつらが弱かっただけでしょ!」 「弱肉強食か……それも道理。ならば」 坊主がゆっくりと棒を構える。 「お前の強さを見せてみろ」 そう言うと坊主は嗤った。 女の顔に恐怖の色が浮かぶ。
「六根清浄ぉ!」
怒声がアパート中に響いた。
|
■講評を書く
■ Trackback Ping URL
外国のスパマーへのトラップです(本物は下のほうを使ってください)
http://www.kyofubako.com/gene/2008/entry-blog/trackback.cgi20080827134332
■トラックバック
この記事へのトラックバックURL(こちらが本物):
http://www.kyofubako.com/gene/2008/entry-blog/blog.cgi/20080827134332
» 【+1】六根清浄 [せんべい猫のユグドラジルから] × この坊さん、室伏さんで脳内再生されるw「アンリ」「自縛」に依存している部分が若干強いですが、力業で押し切ってしまった感じです。ど�... ... 続きを読む
受信: 19:01, Thursday, Aug 28, 2008
» 【−1】六根清浄 [遺伝記澱奇から] × とてもマンガっぽい作品。絵があればきっともう少しは説得力も生まれるのだろうけれど、文章で表現するには言葉が足りない。ストーカー霊という割にはストーカーぽい所作を見受けられず、自己顕示も旺盛だし、前半、言葉もなくおびえているかのように見える女性.... ... 続きを読む
受信: 23:18, Sunday, Aug 31, 2008
» 【+4】六根清浄 [I'd like to tell you something about ...から] × >「六根清浄ぉ!」 の掛け声? と供に突き刺すのはもちろん卒塔婆ですよね。 ストーカー霊は勘弁して。グロ苦手。ぐちゃぐちゃは気�... ... 続きを読む
受信: 23:00, Saturday, Sep 20, 2008
» 【0】六根清浄 [薩摩乃塩ぶろぐ/2008から] × いくら甦って来たとはいえ、既に死んでいる人間が金縛りに遭うというのは甚だ疑問である。六角棒が腹に刺さっても出血しないのなら、今更金縛りも関係ないような気がするが。ストーカー霊がやたら痒がっている理由も今一つよくわからない。というか、ストーカーというよ .. ... 続きを読む
受信: 22:25, Monday, Sep 22, 2008
» 六根清浄 [恐怖の脳みそから] × 前半はなかなかのグロさで盛り上がるが、後半の「六根清浄ぉ!」でいきなり登場して活躍する坊さんとのバランスがいささか悪い。ストーカー霊や坊主の描写に比べて、女の描写も物足りない。テンポも良く情景が浮かんでくる文章は上手いので、構成の弱さが惜しい。 六根 .. ... 続きを読む
受信: 16:43, Sunday, Nov 02, 2008
■講評
坊さんは面白いけど、グロいのはちょっと。
【アイデア】0、【描写力】0、【構成力】0、【恐怖度】0
|
名前: 尚休 ¦ 16:46, Wednesday, Aug 27, 2008 ×
うーん。何と言ったらいいのか。 あまりにも登場人物のキャラが強すぎて、熱い作品だなぁ、と。突拍子もない展開をキャラで捻じ伏せた感がありました。坊主が部屋の鍵をどう開けて入ったのか、という疑問もありましたが、きっとこの坊主は「ふんっ」とか何とか言っちゃって壊して入っちゃうんだろうな。そもそもこの坊主、生きてるかどうかも判らないし。紹介した榊原も謎のまま終わってるし。 でも、そんなの関係ないという勢いで押し切ったという感じですね。坊主の勝ちという事で、この点数で。
【アイデア】+1、【描写力】0、【構成力】0、【恐怖度】0 |
名前: 茶毛 ¦ 19:24, Wednesday, Aug 27, 2008 ×
-長所- ・前半の実話怪談風の詳細な書き方が、先の内容に期待を持たせる。
-短所- ・坊主が出てからの後半の展開が急すぎるように感じた。前半に何の伏線もないままで後半からは坊主と女の間で一方的に話が成立していくために、内容が分かりにくかった。ストーカー霊が女に接近するまでのシーンが長すぎるので、全体的なバランス配分を修正した方が良いのではないかとも思う。 ・細部が描かれているのは良いのだが、暗がりにしては「ヒビの入った眼鏡」「伸びきって黒ずんだ爪」等、明るい場所で相当接近しているかのようにはっきりと見えすぎているように思う。それくらい見えるのであれば、はっきりと見える理由の状況説明を入れるか、または現状に合う程度の見え方で描いたほうが良いと感じた。
【アイデア】0、【描写力】0、【構成力】-1、【恐怖度】0 |
名前: 廻転寿司 ¦ 19:29, Wednesday, Aug 27, 2008 ×
アイデア +1 描写力 +1 構成力 +1 恐怖度 +1
これは意外で面白かった。 てっきり女はヒトだと思っていたが、黄泉還りの術を施された死人だっただけでなく、施術者を殺してしまったとは。 ちょっと僧侶が定型的かなと思った。 |
名前: くりちゃん ¦ 19:59, Wednesday, Aug 27, 2008 ×
幽霊をぶん殴って殺すってのもまた正面突破の大胆な手を使って来ますね。 また男の霊をやっつけておしまいになっていない所もいいです。 手抜きをせずに手間をかけて行くのはとても大事です。
このお話で弱いのは坊さんがいきなり出てくる所と、女性が唐突に死んでいるとされる所です。 どちらか一方でもいいので、冒頭でネタをふってやる事で「なるほど」と思わせる仕掛けをしてやると全体としてまとまりが良くなります。 たとえばラストに弱肉強食と置くなら、普通なら男の幽霊を心底おそれるはずですが、彼女なら決して怖がることはないでしょう。 男の幽霊の方が弱いんだから。 また、この坊さんのような特殊な人が相手でなければ2度死ぬ心配はないから死に対して恐怖も感じない。 死なない自分が死ぬ恐怖ってのも面白いかもしれない。 彼女が男の幽霊をおそれないなら、「幽霊を恐ろしいと思った彼女以外の誰かが坊さんを呼ぶ」とつなげる事もできるかもしれない。
また、こういう破天荒な坊主にはそれゆえに日常生活では面倒が多いはず。 そんな締めを入れるとなお良しかな。
こうした詰めはアイディアではなく単に慣れなので何度もやっていれば自然にできるようになります。
【アイデア】+1 【描写力】+1 【構成力】 0 【恐怖度】 0 |
名前: ユージーン ¦ 21:24, Wednesday, Aug 27, 2008 ×
追記: 筋のいいお話ほど、ここをこう、あっちをこうといろいろ考えられるものです。 「正解」はないんですけどね。 あとちょっとでさらにぐっと良くなりますよ。 |
名前: ユージーン ¦ 21:30, Wednesday, Aug 27, 2008 ×
好きなお話です。面白かったです。 好きなんですが、坊さんが出てきてから、前半の実話怪談風なお話と打って変わって、マンガになってしまいました。少し急展開過ぎたように思います。
このお話は、1話完結のシリーズ物として読みたいですね。
【アイデア】+1、【描写力】+1、【構成力】0、【恐怖度】0 |
名前: かずお ¦ 23:05, Wednesday, Aug 27, 2008 ×
話の筋は良いのですが、女が無言で怖がっていたと思ったら、坊主が出た途端に落ち着いたり饒舌になったりと、心情が一貫しておらず、違和感がありました。 坊主の出現もあまりに唐突な印象なので、この辺、上手くまとまっているとかなり良い話だったんじゃないかなぁと思います。
【アイデア】+1 【描写力】 0 【構成力】 0 【恐怖度】+1
|
名前: PM ¦ 23:15, Wednesday, Aug 27, 2008 ×
前半に比べて後半が強引。 遺伝元をぶんぶんと振り回しているような印象。
【アイデア】+1、【描写力】+1、【構成力】-1、【恐怖度】0 |
名前: 華鹿 ¦ 01:12, Friday, Aug 29, 2008 ×
ちょい前にどっこいしょの語源だってやってたよ。 ツッコミどころは満載ですが、そこが妙な味(笑)を醸していますね。 その絶妙さに2点。 坊さんのキャラがやたら強いです。 有無を言わせぬ感じが出てます。 |
名前: ちゅん ¦ 14:35, Thursday, Sep 04, 2008 ×
やはり前半と後半のトーンの違いが大きなマイナス要因だと 思います。お坊さんの強烈キャラが活かされないままドタバタ で終わってしまいました。描きたい部分が多すぎたのかな。
【アイデア】±0 【描写力】±0 【構成力】−1 【恐怖度】0 |
名前: 蓮 ¦ 23:55, Sunday, Sep 14, 2008 ×
名前: 蓮 ¦ 23:56, Sunday, Sep 14, 2008 ×
なんだか、とってつけたような展開です。 前半と後半が巧くまとまっていないような気がしてなりません。 また、坊主のキャラに頼りすぎている点も気になります。
発想・0 文章・−1 構成・−1 恐怖・0 |
名前: 暗沌子 ¦ 01:20, Tuesday, Sep 23, 2008 ×
派手な展開が良かったですね。しかし唐突なのでもう少し書き込んでも良かったかも。
【アイデア】0 【描写力】+1 【構成力】0 【恐怖度】+1
|
名前: 猫塚イスマ ¦ 00:53, Friday, Sep 26, 2008 ×
0 何本も棒を突き刺さなければならないのはめんどくさい。 何か必殺技を持たせて、思いきりマンガっぽくしても良かったかも知れない。 |
名前: 戯作三昧 ¦ 22:18, Tuesday, Oct 14, 2008 ×
|
|
|
|
QRコードの中だけにある怖い話

|
■■■ ◆◆◆
|