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仏桑花の楽園
リビングのテーブルの上に、真っ赤なハイビスカスの大きな鉢植えが置かれている。

「妙な花を買ってきたもんだな」
仕事から帰宅した私が感想を言うと、妻は少しむっとした表情を浮かべた。
「妙って何よ。沖縄の幸子が送ってくれた花なんだから」
「沖縄…ああ、野村さんか」
妻の大学時代の友人ということで以前紹介された、野村幸子の顔を思い浮かべた。控えめな表情の、大人しい感じの女性だったように記憶している。
「彼女、花を育てるのが大好きなのよ。沖縄の実家のお庭は広いから、ずいぶん色々植えているらしいわ」
「確かにガーデニングとかが似合いそうなタイプの人だな」
「うん。いきなり鉢植えを送ってきたのには、びっくりしたけどね」
妻は寝室で着替える私の側に突っ立って、物憂げに呟いた。
「幸子、故郷の沖縄に戻って結婚してから色々と大変だったのよ。ご主人の浮気やら本人の不倫騒ぎやら不幸続きで」
「それは田舎だったら大変だろうな」
「相手の男性も妻子ありだったらしいのね。職場に奥さんが押しかけてきたおかげで幸子もその会社にいられなくなって退職して、ご主人から逆に離婚届けを叩きつけられて、挙句の果てに手術で入院よ。今は退院して実家に戻ってるらしいけど」
「でもまあ、あんな立派な鉢植えを送ってきてくれたって事は、もうすっかり元気になったということだろ。良かったじゃないか」

部屋着に着替えると、リビングのテーブルに座ってハイビスカスを間近で眺めた。鮮やかな真紅の花と濃い緑色の葉は、いかにも南国という雰囲気を周囲に発散している。
「これ、暑い土地に咲く花なんだろう?この辺の気候で枯れたりしないのか?」
「室内の日当たりのいい場所に置けば大丈夫だって。幸子が育て方の手紙をつけてくれてるから、ちゃんとその通りにするわ。たくさん咲くといいなあ」
「…これから食事なんだから、鉢植えは別の場所に移してくれよ。邪魔だよ」
「あら駄目よ。お礼の電話をしたら、ちゃんと家の真ん中かリビングのテーブルの上に置いてねって念を押されたんだから。当分はここに飾っておくわ」
また変な思い込みを吹き込まれたもんだ。私はこっそり溜息をつくと、諦めて夕飯の箸を手に取った。

数日後の日曜日。私は、我が家の小さな庭に植わっている何本かの紫陽花を眺めていた。もちろん花は咲いていないが、葉が何枚か茶色になってしまっている。
(後で、ネットの園芸サイトで紫陽花の手入れの仕方を調べるか…)
別に園芸が趣味という訳ではないが、梅雨時に咲く紫陽花だけは好きなのだ。あちこちで目立ち始めた雑草は無視して、庭からリビングに戻ると鮮やかなハイビスカスの赤色が目に飛び込んでくる。確かに綺麗だが、どうにも我が家のリビングには似合わないような気がする。しかし妻はとても気に入っているようだ。
最近掃除をさぼっている書斎よりは広いリビングの方が落ち着くので、テーブルの上にノートパソコンを置いてネットに接続することにした。雑誌や調味料入れを動かして場所を作っていると、妻が廊下から顔を出した。
「これからパソコンで遊ぶの?丁度いいわ。スーパーに買い物に行って来るから、しばらく留守番をお願いね」
「はいはい」

玄関のドアが閉まる音を聞きながらブラウザを立ち上げた瞬間。鼻先に強い異臭が漂い、思わず顔を上げた。
(何だ?この臭いは)
まるで何かが腐ったような、胸がむかむかする臭いだが、周囲を見回すとそれはふっと消えた。しかし決して気のせいではない。台所のゴミ入れを点検しようと腰を上げた私の視線は、すぐ横のハイビスカスの鉢植えの上でさまよった。
(この花が?いや花よりも土の方が臭ったのかもしれない)
恐る恐るハイビスカスの根元に顔を近づけてみたが、ほんのかすかに土の香りがするだけである。だが私の脳裏には全く違う強烈なイメージが溢れ出ていた。

(赤い花…血…肉…腐る…血も腐る…土…黒い血と肉を吸った地面を掘り返す血塗れの手手手)

慌てて鉢植えから離れると、深呼吸をした。全くなんでこんな馬鹿な連想を。
わざと苦笑いを浮かべると、パソコンの前に座り直しいつも見ている園芸サイトにアクセスした。紫陽花のコーナーを読もうとした時、ふと下の方にある「ハイビスカス」の文字に気がついた。そうだ、この鉢植えの土を全部取り替えれば今後気にする事もなくなるだろう。そう思いながらページを開くと「仏桑花」という見慣れない言葉が表示され、どきっとした。
(仏桑花…仏…)

『仏桑花(ブッソウゲ)はハイビスカスの和名:
沖縄南部では後生花と呼ばれ、死人の後生の幸福を願って墓地に植栽する習慣がある』

沖縄南部では墓地に植える…墓地に…。
(浮気不倫離婚…幸子も不幸続きだったのよねえ…いきなり送られてきた鉢植え。家の中央に置けと念押しする手紙。今も彼女は不幸だったとしたら?そしてのん気で無邪気な私の妻。不幸などほとんど知らない女)
(もし?もしもこの仏桑花が墓地に咲いていて土ごと鉢に移したのだとしたら?墓地の土が我が家に…顔の横に)

あの腐ったような臭いが、まるで顔を殴るような感覚で襲ってきた。鼻を手で覆い、こみ上げてくる吐き気を耐えながら、庭に逃げ出そうとする。しかし、涙でかすむ私の目に映ったのは真っ赤な仏桑花に覆われた庭だった。紫陽花も、ひょろりと生えていた雑草も全て仏桑花の群れに押しつぶされている。
思わず庭に背を向けて家の中を見渡した私は、呆然とした。
床が、壁が、天井が、全て真っ赤な仏桑花に覆われている。家具など形も見えない。
出口もわからない。
私の目がどうにかなったのか。いやこの腐臭は現実だ。
私は突然の狂気に捕らわれたのか。
視界が真っ赤に染まり、息苦しい。呼吸が出来ない。
私は、このまま花々に埋もれて土の中で腐っていくのか…膝から崩れ落ちながら顔を上げると、部屋の中央で今や毒々しいまでに輝いてる仏桑花の鉢植えがある。
それに向かって指を伸ばしながら、私は意識が遠のいていくのを感じていた。

ふと気がつくと、私はいつの間にか庭に立っていた。
周囲は元通りになっていたが、裸足の足元に、粉々に砕けたハイビスカスの鉢植えが転がっている。少し萎れたようになっている花をぼんやり見下ろしていると、妻の驚いたような声がした。
「どうしたの!?ハイビスカスが滅茶苦茶になってるじゃない!」
私はゆっくりと妻の方を見ると、落ち着いた声で答えた。
「ああ。土から虫がたくさん出てきたから壊したんだ。やっぱりこの家じゃあ育てられないみたいだな」
後でちゃんと片付けるよ、と言いながら家の中に入った。椅子に座り、妻の困ったような声を聞きながら目を閉じた。
「そういえば、さっき幸子から携帯メールが届いたのよ」
「…そうか」
「あなたの家もハイビスカスがたくさん咲く南国の楽園みたいになるといいわね、ですって」
「……」
「ねえ、あのハイビスカスはもう絶対に無理?花屋さんに聞いてみようかしら」

目を閉じた私の眼前に、真紅の花々の大群が広がる。どこまでもどこまでも赤い、呪われた艶やかな楽園…。

(仏桑花の説明はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)



07:29, Thursday, Sep 11, 2008 ¦ 固定リンク ¦ 講評(12) ¦ 講評を書く ¦ トラックバック(5) ¦ 携帯


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受信: 21:31, Wednesday, Oct 01, 2008

■講評

アイデア +1
描写力 +1
構成力 +1
恐怖度 +1

ハイビスカスの和名って仏桑花っていうんですね、一つ賢くなりました。沖縄では普通にどこにでも植わっているので、墓地に植えるものだったというのも初めて聞きました。あっ、おばーちゃんちの玄関にこれの鉢植えが置いてあったんだけど…
「目を閉じた私の眼前に、真紅の花々の大群が広がる。どこまでもどこまでも赤い、呪われた艶やかな楽園…。」
この部分好きです。


名前: くりちゃん ¦ 10:00, Thursday, Sep 11, 2008 ×


いかにも罠がありそうなのに、それにまんまと乗っかる奥さん。無邪気というより呑気、いや世間知らず?いわれの無い恨みをかっているというお話でしょうか。淡々と進む展開は良かったと思うのですが、起きる怪異が匂いがメインではちょっと弱いかな。家中がハイビスカスに覆われた時に独自の怪異を加えて欲しかった。そうすると印象は結構違ったと思います。でも、奥さんに内緒にする必要があるんでしょうか?ここまでされているのに。この奥さんだったら、また何でも受け取っちゃうでしょう。
ラストの引用云々は作品の世界観を壊すので書かないほうが良かったと思いました。

【アイデア】+1、【描写力】+1、【構成力】0、【恐怖度】0

名前: 茶毛 ¦ 13:08, Thursday, Sep 11, 2008 ×


なんだかお洒落な文章…。羨ましいです。
展開がスムーズで読みやすかったのですが、怪異部分が臭いと幻覚、主人公の憶測で終わってしまっているため、ちょっと物足りない感がありました。
何か一つでも、現実に恐怖を残しておいてもらえると良かったかなぁと思います。

【アイデア】 0 【描写力】+1 【構成力】+1 【恐怖度】 0

名前: PM ¦ 20:23, Thursday, Sep 11, 2008 ×


ハイビスカスの和名も、
沖縄ではお墓に植えると言う事も
知りませんでした。
しかし、それが蘊蓄として出てくるのではなく
実になめらかに挿入されていて
作者の方の力の確かさを感じます。
これだけ力のある方の、
もっとドロドロした話を見たかったです。
文章力、構成、話の雰囲気に1点づつ。

名前: ちゅん ¦ 13:03, Friday, Sep 12, 2008 ×


長さの割りに読み易いのは文章力か。彼岸花とは意味が違うのですね。

【アイデア】0、【描写力】+1、【構成力】-1、【恐怖度】0

名前: 尚休 ¦ 16:17, Saturday, Sep 13, 2008 ×


 雰囲気がいいですね。
 感じが出てます。
 友達を信じきっている奥さんと旦那さんの微妙なすれ違いが緊張感を作ってると思います。
 ハイビスカスのお話もよかった。

 花の幻視にさらにもうひとつあると良かったかな。

【アイデア】+1 【描写力】+1 【構成力】 0 【恐怖度】 0

名前: ユージーン ¦ 21:22, Wednesday, Sep 17, 2008 ×


仏桑花(ブッソウゲ)のところなどよく考えているなーと好感が持てました。
ただ恐怖のポイントが、匂い、幻覚といったもので決定打に欠けるような気もしました。
文章は綺麗な割りにドロッとしたところもありよかったです。

【アイデア】+1、【描写力】+1、【構成力】0、【恐怖度】0

名前: 華鹿 ¦ 21:29, Wednesday, Sep 17, 2008 ×


-長所-
・ハイビスカスの和名からこの話を作ったところに努力の跡が感じられる。
・説明的な会話が多いものの、文章自体は読みやすい。

-短所-
・幸子がなぜこれほどまでに主人公の妻へ悪意を仕掛けるのか、人の幸せをうらやむ八つ当たり的な行為にしては、主人公が受け取ったその強烈な悪意の方向性と根拠がはっきりしない。不可解さが怖さである事が作品の意図なのかもしれないが、やはり妻と幸子の関係についてはもう少し触れていた方が、その悪意と恐怖が強く伝わってくるのではないかと思う。
ハイビスカスの別名こそがこの作品の盛り上げ所になっているのだが、花が単体で仕掛ける怪異だけでは印象が薄いので、その忌まわしさの元凶となる人間の悪意をしっかり描く必要があるように感じた。

・怪異の出し方を見ると、映像的な(赤い花…血…肉…腐る)が先に書かれ、後で臭いとハイビスカス満載というクライマックスがあるのだが、(赤い花…血…肉…腐る)の部分があまりにも簡潔すぎて印象が薄く、クライマックスに深く映像を残さない。最後の異様な光景へ繋げるためにも、もっとこの連想部分でしっかり描く必要があったのではないかと思う。


【アイデア】0、【描写力】0、【構成力】0、【恐怖度】0

名前: 廻転寿司 ¦ 18:40, Thursday, Sep 18, 2008 ×


幸子も誰かにハイビスカスを送られてたりして。人の悪意って止まる事を知りませんから。
でも、この奥さんには残念ながら伝わらないかも;幸子も分かってはいるけれど送らずにはいられない所まで追い詰められているのでしょうか。そしてそのしわ寄せは主人公に(笑) 具体的な被害に遭わなかっただけでも良しとしましょう。

【アイデア】0【描写力】±0【構成力】1【恐怖度】0

名前: 蓮 ¦ 00:56, Monday, Sep 22, 2008 ×


それぞれの人物が巧く描かれていると思います。文章も巧い。心底、羨ましくなるほど(笑)

ただ、ネタ的には少し魅力に欠けるかも。

発想・0 文章・0 構成・0 恐怖・0

名前: 暗沌子 ¦ 23:51, Friday, Sep 26, 2008 ×


ハイビスカスにそんなお話があるとは知りませんでした。

女性の友達が絡むと似た展開になっちゃいますね。


【アイデア】+1 【描写力】0 【構成力】0 【恐怖度】+1

名前: 猫塚イスマ ¦ 20:41, Saturday, Sep 27, 2008 ×


描写ー1
臭いから想起されるイメージの描写が簡潔すぎてわかりづらい。
もっと細かく具体的に書いても良かったか。
日当たりの良い所に置けば大丈夫という割には家の真ん中やテーブルの上に置けというのは不自然。
幸子は何らかの呪いをかけようとしたのであろうと思われるが、主人公は意識を失いながらもあっさりとその呪いを打ち砕いているあたり、どうも都合よく感じる。
仮に墓地から取ってきたハイビスカスだったとして、なぜ腐臭がするのだろうか?
幸子が人を殺して埋めた場所に植えたハイビスカスであったというならわかるが、沖縄も火葬であるから、そもそも腐臭などするはずもないのである。

名前: 戯作三昧 ¦ 04:24, Sunday, Oct 26, 2008 ×


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